製造部 SEIZOU-BU 運営メンバー、 中小企業診断士の松本泰良です。
これまで4回にわたり、「価格転嫁・価格交渉」をテーマとして、中小製造業が価格転嫁に取り組む意味、営業活動、価格交渉の実践方法、そして労務費・人件費の価格転嫁について考えてきました。
では、価格転嫁によって適正な利益を確保した後、その利益を何に使うのか?
2026年9月には第2次高市改造内閣が発足し、「強い経済」の実現や国内投資の拡大などが政策の方向性として示されました(第2次高市改造内閣の発足 | 総理の一日 | 首相官邸) 。
また、中小企業政策においても、価格転嫁、生産性向上、成長投資などを通じて中小企業の「稼ぐ力」を高める方向が打ち出されています。
ただし今回のブログは、政策そのものを論じるつもりはなく、中小製造業をご支援する立場から、「価格転嫁によって確保した利益を、どのように次の競争力へつなげるか」について考察を深めていきたいと思います。
日本の製造業を支えている中小企業一社一社が、適正な利益を確保し、その利益を人材、設備、技術、生産性向上へ再投資していくことが、自社の競争力を高めるうえで重要な経営課題であると思うのです。
1.価格転嫁の目的は「値上げ」ではなく、収益基盤を立て直すこと
1-1.利益がなければ、次の経営行動を選択できない
価格転嫁という言葉からは、「原価が上がったので販売価格を上げる」という行為そのものに目が向きがちです。
しかし、経営の立場から考えれば、本当に重要なのは値上げそのものではありません。
価格改定によって、必要な利益を確保できる収益構造に戻すことです。
利益が確保できれば、
- 設備を更新する。
- 測定機器を導入する。
- 若手人材を採用する。
- 従業員の処遇を改善する。
- 技能教育を行う。
- 新しい加工技術を開発する。
- 新規顧客を開拓する。
といった次の経営行動を選択できます。
一方、必要なコスト上昇を価格へ反映できず、利益率が低下し続ければ、こうした投資は徐々に難しくなります。
設備更新を延期する。人員補充を見送る。教育費を削減する。研究開発を止める。
短期的には資金流出を抑えられても、それが続けば設備の老朽化、人材不足、技能継承の停滞、生産性低下などにつながる可能性があります。
したがって価格転嫁は、「値上げができたか、できなかったか」だけで評価するものではなく、将来の経営に必要な収益基盤を確保できたかという視点で見る必要があります。
1-2.「価格転嫁→利益」で終わらせない
もう一つ重要なのは、価格転嫁によって生まれた利益を何に使うかです。
私は、
適正価格→ 適正利益→ 成長投資→ 生産性・付加価値向上→ 人材への還元→ 品質・納期・技術対応力の向上→ 顧客への提供価値向上
という循環をつくることが重要だと考えています。
例えば、価格改定によって年間500万円の利益改善が実現したとします。
その500万円を単に利益として残すのか、設備改善へ使うのか、人材採用や賃上げに使うのか、DXに使うのか、新しい加工技術の開発に使うのか。
同じ500万円でも、その使い方によって3年後、5年後の会社の姿は変わります。
価格転嫁の次に必要になるのは、「確保した利益をどこへ配分すれば、自社の競争力が最も高まるのか」という経営判断だと思うのです。
2.成長投資は、まず自社の経営課題から考える
成長投資というと、新しい大型設備を購入することをイメージされるかもしれません。
しかし、中小製造業における投資は、必ずしも高額な設備投資だけではありません。
むしろ最初に考えるべきことは、「現在、自社の成長を妨げているものは何か」という経営課題です。
- 生産能力が不足しているのか。
- 段取り時間が長いのか。
- 不良や手直しが多いのか。
- 熟練者に仕事が集中しているのか。
- 製品別原価が把握できていないのか。
- 営業が社長一人に依存しているのか。
- 後継者育成が進んでいないのか。
こうした課題を明確にしたうえで、必要な投資を選択する必要があります。
投資額の大きさではなく、「現在の経営課題を解決し、会社の付加価値を高める投資になっているか」が重要です。
3.中小製造業が検討したい5つの投資
3-1.省力化・生産性向上への投資
第一は、生産性向上への投資です。
ただし、生産性向上=最新設備の導入ではありません。
例えば、
- 加工順路を見直す。
- 設備レイアウトを変更する。
- 段取り方法を改善する。
- 治具を工夫する。
- 工程間の仕掛品を減らす。
- 搬送方法を改善する。
- 検査工程を見直す。
こうした改善の中には、大きな設備投資を必要としないものもあります。
現場改善によって課題を整理したうえで、「この工程は設備更新した方が生産性が高まる」「この作業は自動化した方がよい」などと判断できれば、そこで初めて投資の必要性が明確になります。
設備を導入すること自体が目的ではありません。
設備導入によって、何時間削減できるのか、何人分の作業負荷を軽減できるのか、能力がどれだけ向上するのか、不良率をどこまで下げられるのか。
このように効果を具体化し、採算性を判断してから投資を行うことが重要です。
3-2.人材への投資
第二は、人への投資です。
製造業では、設備能力だけで競争力が決まるわけではありません。
- 加工条件を判断する。
- 異常を見抜く。
- 段取りを改善する。
- 不良原因を分析する。
- 設備の癖を理解する。
- 顧客からの難しい要求に対応する。
こうした能力の多くは、人に蓄積されています。
第4回で取り上げた労務費の価格転嫁とも関係しますが、人件費を単なる固定費として捉えるだけではなく、人件費は付加価値を生み出す人材を維持・育成するための費用として見ることが重要です。
賃上げだけでなく、技能教育、多能工化、資格取得、若手社員への技能継承、管理者育成なども人材投資です。
特に人手不足が進む中では、「人を何人採用するか」だけではなく、今いる人材の能力をどのように高めるかという視点も一層重要になると思います。
3-3.原価・生産・経営の「見える化」への投資
第三は、DXを含めた経営情報の見える化です。
中小製造業を支援していると、
- 「製品別原価が十分に把握できていない」
- 「加工時間が正確に分からない」
- 「設備ごとの稼働率を把握していない」
- 「どの商品が本当に利益を生んでいるのか分からない」
といった企業があります。
こうした状態では、価格転嫁の根拠をつくることも難しく、生産性改善を行っても、その効果を正確に判断できません。
受発注、生産管理、在庫管理、原価管理、設備稼働などを必要な範囲からデジタル化し、経営判断に使える情報へ変えていくことが重要です。
DXというと大掛かりなシステムを想像しがちですが、重要なのはシステムそのものではなく、
必要な数字が、必要なタイミングで分かり、経営判断に使えること。
これが目的です。
3-4.高付加価値化・新市場開拓への投資
第四は、現在の技術や設備を使って、より付加価値の高い仕事へ展開するための投資です。
価格転嫁は現在の取引の採算を改善する取り組みですが、それだけで将来の成長が保証されるわけではありません。
- 自社の加工技術は他の業界でも活用できないか。
- より難易度の高い加工を受注できないか。
- 加工だけでなく組立まで対応できないか。
- 設計段階から顧客へ提案できないか。
- 既存顧客の別部門へ展開できないか。
こうした検討によって、自社の売上構成や顧客構成を少しずつ変えていくことも、将来の事業発展に向けてとても重要なことだと思います。
特定顧客や特定製品への依存が高い企業では、新規市場へ展開することは、売上拡大だけでなく経営リスクを分散する意味も持ちます。
3-5.事業継続・事業承継への投資
第五は、会社そのものを継続させるための投資です。
経営者の高齢化や後継者問題は、中小製造業にとって避けて通れない課題です。
優れた加工技術、設備、技能者、顧客との関係を持っていても、事業を引き継ぐ人や仕組みがなければ、それらを将来へ残すことはできません。
また、事業承継は、単に社長の名前を次の人へ変えることではありません。
後継者教育、組織づくり、財務体質の改善、業務の標準化、技能承継、取引先との関係引継ぎなど、長い準備期間を必要とします。
価格転嫁によって収益力を改善し、設備・人材・財務内容を整えておくことは、将来の事業承継を考えるうえでも重要です。
4.投資は「補助金があるから」ではなく、「経営課題があるから」
ここで一つ注意したいのが、国や自治体などの支援策の使い方です。
現在、中小企業には省力化、DX、設備投資、新事業進出、人材育成、事業承継など、さまざまな支援策があります。
政策としても、価格転嫁だけでなく、生産性向上や成長投資を組み合わせて、中小企業の付加価値を高めようという方向が示されています。2026年版中小企業白書でも、価格転嫁、成長投資による高付加価値化、AI・デジタル化などを組み合わせる重要性が整理されています(2026年版中小企業白書・小規模企業白書が閣議決定されました(METI/経済産業省))。
こうした制度は、条件が合えば積極的に活用すればよいと思います。
ただし、順番は明確にしておきたいところです。
「補助金があるから設備を買う」のではなく、
経営課題を把握する
→ 解決方法を考える
→ 必要な投資を決める
→ 条件が合えば支援制度を活用する
という順番です。
補助金を受けても、投資そのものが経営課題の解決につながらなければ、本当の意味で会社の生産性や収益力は高まりません。
公的支援は、自社で決めた経営戦略を実行しやすくする手段の一つ、と考えるのが適切だと思います。
5.投資した後の「効果測定」までが経営
価格転嫁によって利益を確保し、その利益を投資へ回したとしても、それだけでは十分ではありません。
その投資によって、何が改善したのかを確認する必要があります。
例えば設備投資なら、
- 加工時間は何%短縮したか。
- 生産数量はどれだけ増えたか。
- 人員配置はどう変わったか。
- 不良率は下がったか。
- 残業時間は減ったか。
人材投資なら、
- 多能工化は進んだか。
- 若手社員が担当できる工程は増えたか。
- 特定の熟練者への依存度は下がったか。
- 離職率や採用状況に変化はあったか。
DXへの投資なら、
- 入力作業は何時間減ったか。
- 在庫精度は上がったか。
- 原価把握の精度は高まったか。
- 経営判断までの時間は短くなったか。
こうした成果を確認することが必要です。
価格転嫁、投資、改善を別々の活動として考えるのではなく、一つの経営サイクルとして管理することが重要だと思います。
6.価格転嫁を、次の競争力につなげる
これまで4回のブログでは、価格転嫁を実現するための考え方や方法について取り上げてきました。
今回お伝えしたかったのは、価格転嫁を実現した後にも重要な経営判断が残っているということです。
- 価格転嫁によって適正な利益を確保する。
- 経営課題を明確にする。
- 必要な設備、人材、技術、DX、新市場へ投資する。
- その効果を確認し、さらに改善する。
この一連の取り組みが、企業の収益力と競争力を高めていくと思います。
中小製造業の強みは、大企業にはない専門技術、現場対応力、スピード、柔軟性、顧客との距離の近さなどにあります。
一方で、人手不足、設備老朽化、技能承継、原価上昇など、対応しなければならない課題も多くあります。
だからこそ、価格転嫁によって得られた利益を単に「残った利益」と考えるのではなく、自社のどの経営課題を解決するために使うのかを考える必要があります。
第1回では、「価格転嫁は未来事業へのパスポート」とお伝えしました。
第5回となる今回は、その考えをもう少し具体的な経営行動に置き換えるなら、
価格転嫁によって確保した利益を、次の競争力をつくるためにどう使うか。
ここまで考えることが、これからの中小製造業の経営にとって重要なのではないでしょうか。
中小製造業一社一社の収益力、生産性、技術力が高まることは、自社の事業継続だけでなく、取引先やサプライチェーンの安定にもつながります。
そして、その積み重ねが日本のものづくり全体の競争力を支えることになると、私は考えています。


