製造部SEIZOU-BU運営メンバー、中小企業診断士の松本泰良です。 「原材料費や人件費が高騰する中、値上げを切り出したら他社に仕事を奪われるのではないか……」 そのような不安から、自社でコスト上昇分を被り、ギリギリの資金繰りで耐え忍んでいないでしょうか?
BtoB製造業がサプライヤーの立場で顧客に対し、「価格転嫁(値上げ)」を申し出るのは極めて心理的ハードルが高いものです。しかし、このまま自社努力だけでコストを吸収し続ければ、いずれ会社の体力は尽き、現場の従業員を守れなくなってしまいます。
そこで今回は、価格転嫁に踏み切れないBtoB製造業の経営者様に向けて、交渉を成功させるために不可欠な「自社改善」と「適正な手順」を、BtoB営業と仕入調達両方の実務をそれぞれ10年以上担当してきた経験も踏まえながら、徹底解説いたします。
1.価格転嫁は、もはや避けて通れない経営課題
さて、今回のテーマとしました「価格転嫁&交渉」については、昨今の企業様支援に携わる中心のテーマとして大きく取り扱われている実情があります。
1-1.BtoB製造業の価格転嫁が難しい理由
その中でも特にBtoB製造業における価格転嫁は、簡単な取り組みではありません。BtoC製品であれば、インフレによる値上げが消費者に一定程度受け入れられやすい風潮があります。しかし、BtoB製品の場合、自社が製造した部品や加工品は、顧客企業の完成品の一部となります。そのため、サプライヤーである中小製造業が価格転嫁を申し出ることは、顧客企業の原価上昇に直結します。
1-2.価格転嫁には売り手・買い手双方の心理的負担がある
顧客から見れば、サプライヤーの価格転嫁は「調達コストの上昇」です。したがって、簡単に受け入れられるものではありません。調達担当者は、自社の利益を守る立場にあります。価格転嫁を受け入れれば、社内で説明責任が発生しますし、場合によっては自分の評価にも影響します。
一方、サプライヤー側の営業担当者も不安を抱えています。「値上げを言ったら仕事を減らされるのではないか」「競合他社へ受注を奪われるのではないか」「長年築いてきた関係性が悪化するのではないか」などと考え、価格転嫁を言い出せないケースも少なくありません。
このように、価格転嫁は売り手側にも買い手側にも心理的負担があるテーマとなっています。
1-3.コスト上昇を自社努力だけで吸収し続ける危険性
しかし、現在の製造業を取り巻く環境を考えると、価格転嫁を避け続けることは、もはや現実的ではありません。材料費、物流費、光熱費、人件費、最低賃金の上昇、人手不足による採用コストの増加など、製造業にとってのコストアップ要因は多岐にわたります。
これらをすべて自社努力だけで吸収し続ければ、利益は削られます。利益が削られれば、資金繰りは悪化します。資金繰りが悪化すれば、設備更新、人材採用、従業員の賃上げ、教育投資、新しい技術への挑戦ができなくなります。
つまり、価格転嫁をしないという選択は、目先の取引を守っているように見えて、実は将来の会社の体力を削っている可能性があるのです。
1-4.価格転嫁は「未来へのパスポート」である
私は、価格転嫁とは単なる値上げではなく、「未来の自社事業へのパスポート」だと考えています。
適正な利益を確保できるからこそ、会社は次の一歩を踏み出せます。老朽化した設備を更新し、若手人材を採用し、熟練技能を継承し、従業員の処遇を改善し、顧客へ安定した品質と納期を提供し続けることができます。
価格転嫁は、会社が未来へ進むための通行証なのです。
2.デフレ時代の慣習が、価格転嫁を難しくしている
2-1.「値上げは悪」という長年の価値観
日本では、バブル崩壊以降、長いデフレ経済が続きました。その中で、多くの企業は「価格は下がるもの」「値上げは悪いこと」「顧客からの値下げ要請に応えることが営業努力」という感覚を身につけてきました。
2-2.無償対応が常態化した製造現場
中小製造業も例外ではありません。顧客からの値下げ要請に対し、価格を下げる代わりに、短納期対応、緊急対応、追加サービス、在庫対応、細かな仕様変更への対応などを積み重ねてきた企業も多いと思います。
本来であれば有償であるべきサービスも、長年の取引関係の中で「いつもの対応」として無償化してしまっているケースもあります。その結果、現場の負担は増えているにもかかわらず、価格には十分に反映されていないという状況が生まれました。
2-3.価格転嫁経験の不足が不安を生む
長いデフレ時代は、価格を上げる経験値を企業から奪いました。
そのため、現在のようにコストアップが明確になっても、いざ価格転嫁をしようとすると、どのように顧客へ説明すればよいのか分からない企業が多くあります。営業担当者も経営者も、「値上げをした経験」が少ないため、不安が先に立ってしまいます。
また価格転嫁に取り組むべきと解っていても、「現行商品の途中値上げはデータ修正や管理が大変だ」、「新商品に切り替わるタイミングで取り組んだ方がスムーズに移行できる」などの理由を並べ、ズルズルと先送りになってしまうケースも少なくありません。
一方、顧客側も同じです。調達担当者は長年、価格を下げること、または価格を維持することを求められてきました。そのため、サプライヤーから価格転嫁を要請された際に、どう社内で判断し、どう説明すればよいのか分からない場合があります。
また、顧客側には「便乗値上げではないか」という警戒感もあります。材料費や人件費が上がっていることは理解していても、その上昇分が本当に提示価格に見合っているのかを確認したいと考えます。
2-4.価格転嫁には“説明力”が求められる
だからこそ、価格転嫁には説明力が必要です。
「コストが上がったので値上げしてください」だけでは、顧客は納得しにくいでしょう。重要なのは、どのコストが、どれだけ上昇し、自社でどこまで吸収努力を行い、それでも不足する分がいくらなのかを、できる限り定量的に示すことが求められると思います。
価格転嫁は、感情でお願いするものではありません。自社の経営状況、原価構造、改善努力、今後の事業継続に必要な利益を説明し、顧客と協議する活動です。
その意味で、価格転嫁は営業活動であると同時に、経営管理活動でもあります。
3.支援先企業に見えた、価格転嫁以前の課題
私が支援したある金属加工業の企業でも、価格転嫁の難しさが明確に表れていました。
3-1.金属加工業の支援先企業が抱えていた問題
その企業は外注先を内部化し、広い敷地内に移転して切削加工を中心とした金属加工製品の事業を展開していました。主要販売先は約4社で、材料は顧客から無償支給され、主に鋼材の切削や金型プレ加工を行っていました。
一見すると、材料費は顧客支給であるため、価格転嫁の対象は加工費が中心になります。つまり、労務費、経費(設備費、光熱費、工具費、修繕費、間接費など)の上昇分を、どのように加工賃へ反映するかが重要になります。
しかし、その企業にはそれ以前に大きな課題がありました。
3-2.設備レイアウトと加工順路の非効率
外注先を内部化した際、組織を旧会社基準で区分し、作業エリアも旧会社基準で分け、設備レイアウトも従来のまま配置していました。そのため、実際の加工順路が非効率になっていたのです。
本来であれば、材料投入から粗加工、中間加工、仕上げ、検査へと工程順に設備を配置すれば、製品の移動距離は短くなります。ところが現場では、加工のたびに製品が工場内を行ったり来たりしていました。
移動のムダ、待ち時間のムダが多く発生し、それが加工時間にも影響していました。設備レイアウトを見直せば、もっと効率的な加工順路が実現できる可能性がありました。
3-3.加工時間が把握できず原価が見えていない
さらに、原価算出に大きく影響する製品ごとの加工時間測定精度が十分ではありませんでした。
製品別の加工時間が正確に把握できなければ、製品別原価も正確に算出できません。原価が分からなければ、適正な売価も判断できません。その結果、製品ごとの粗利益や粗利益率に大きなバラツキが生じていることが判りました。
3-4.製品別利益のバラツキと赤字製品の存在
ある製品は十分な利益が出ている一方で、別の製品はほとんど利益が出ていない。あるいは、実質的には赤字に近い製品も存在している可能性がありました。
この状態では、顧客単位で一律に価格転嫁を要請することは困難です。
「A社向けを一律5%上げる」という考え方ではなく、製品ごとに原価と粗利益を確認し、どの製品にどれだけの価格転嫁が必要なのかを整理する必要がありました。
3-5.価格転嫁できないことで起きる社内への負担転嫁
加えて、資金繰りは非常に厳しい状態でした。月次の支払いは自転車操業に近く、経営体力は大きく低下していました。本来であれば、早急に価格転嫁へ取り組むべき状況です。
それでも、経営者や現場には「どうせ断られるから」という思いがありました。顧客に価格転嫁を申し出ることができず、結果として従業員の給与を下げることで資金繰りをしのいでいた時期もありました。
私はこの状況を見て、価格転嫁をしないことの怖さを強く感じました。
価格転嫁をしないということは、単に会社が我慢するということではありません。顧客へ転嫁できなかったコストは、必ず社内のどこかにしわ寄せされます。
それは、従業員の給与抑制かもしれません。賞与削減かもしれません。設備更新の先送りかもしれません。現場の長時間労働かもしれません。若手採用の見送りかもしれません。
つまり、価格転嫁しないことは、社内への負担転嫁でもあるのです。
3-6.価格転嫁の前に必要な「自社改善」
この企業にとって必要だったのは、単に「値上げをお願いすること」ではありませんでした。
まず、自社の原価を見直すこと。どの製品に、どれだけの加工時間がかかっているのかを把握すること。設備レイアウトを見直し、加工順路のムダを減らすこと。製品ごとの粗利益を整理し、どの製品から価格転嫁を要請すべきかを明確にすること。
このような取り組みがあって初めて、顧客に対して説得力ある説明が可能になります。
価格転嫁は、顧客との交渉だけで完結するものではありません。自社の中にある非効率を見つめ直し、改善したうえで、それでも吸収できないコスト上昇分を顧客へ説明する。この順番が重要なのです。
4.価格転嫁を未来へのパスポートに変えるために
4-1.価格転嫁は“敵対的交渉”ではない
価格転嫁を実現するためには、顧客との関係性も重要です。
価格転嫁は、単純な数字だけで決まるものではありません。取引歴、品質実績、納期対応、緊急時対応、技術力、代替先の有無、製品の重要度など、さまざまな要素が影響します。
特にBtoB製造業では、長年の取引関係の中で信頼が積み上がっています。その信頼関係を活かしながら、価格転嫁を「一方的な値上げ要求」ではなく、「今後も安定供給を続けるための協議」として進めることが大切です。
顧客側も、サプライヤーが適正利益を確保できなければ、品質維持や納期対応が難しくなることを理解する必要があります。サプライヤーの経営が疲弊すれば、最終的には顧客側の安定調達にも影響します。
その意味で、価格転嫁は敵対的な交渉ではありません。サプライチェーン全体を持続可能にするための協議です。
4-2.経営層同士の対話が重要になる理由
また、価格転嫁を営業担当者だけに任せるべきではありません。
営業担当者は、顧客の調達担当者との日々の関係を大切にしています。そのため、価格転嫁を切り出すことで関係が悪化することを恐れます。一方、顧客の調達担当者も、自分一人で値上げを受け入れる判断はし辛いものです。社内で説明責任を負う必要があるからです。
だからこそ、価格転嫁では、担当者同士だけでなく、部門責任者、経営層トップ同士の対話が重要になります。経営層が関与することで、顧客側も社内で正式な経営課題として受け止めやすくなります。
4-3.顧客説明で必要となる具体的データ
顧客へ説明する際には、次のような観点が重要です。
まず、製品ごとの加工時間をできる限り把握すること。次に、労務費や設備費、光熱費などの経費の上昇分を整理すること。そして、社内で行っている改善努力も示すことです。
たとえば、
- 「加工時間を測定した結果、この製品には標準で何分かかっています」
- 「人件費・設備費・光熱費を含めた加工単価はこの水準です」
- 「社内でも設備レイアウト改善や工程短縮に取り組んでいます」
- 「そのうえで、どうしても吸収できない上昇分がこの金額です」
と説明できれば、顧客側の受け止め方は変わります。具体的な数値を開示し辛ければ、コスト低減の具体的取り組みを説明するだけでも、本気度は伝わるはずです。
4-4.価格転嫁は「経営の見える化」でもある
価格転嫁は、相手を説得するための交渉であると同時に、自社の経営を見える化する活動でもあります。
もちろん、価格転嫁を申し出れば、すべてが受け入れられるわけではありません。顧客の業界環境、競合状況、顧客内での当社製品の重要度、代替先の有無、取引歴、信頼関係などによって結果は変わります。
しかし、「どうせ断られる」と考えて何もしなければ、状況はさらに悪化します。
4-5.第一歩は「自社を知ること」から始まる
価格転嫁に取り組む第一歩は、大きな交渉ではなく、自社を知ることです。
- 自社の原価を把握する。
- 現場のムダを見直す。
- 製品別の利益を確認する。
- 顧客へ説明できる資料を整える。
- 経営者が率先して価格転嫁に向き合う。
この積み重ねが重要です。
4-6.利益は未来の顧客対応力を守る原資
価格転嫁とは、値上げのお願いではありません。
自社がこれからも事業を続け、顧客に価値を提供し、従業員を守り、地域産業を支えていくための経営活動です。
特に中小製造業では、熟練技能者の存在が競争力の源泉になっているケースが多くあります。その技能を守るためには、従業員に適正な処遇を行い、若手人材を育て、設備を維持更新していく必要があります。
その原資となるのが利益です。
利益は、会社だけのものではありません。未来の顧客対応力を守るための原資であり、品質を守るための原資であり、納期を守るための原資であり、従業員の生活を守るための原資でもあります。
4-7.未来の事業を守るための価格転嫁
長いデフレ時代を経験した私たちにとって、価格を上げることには大きな心理的抵抗があります。しかし、インフレ環境において価格を据え置き続けることは、会社の体力を確実に奪っていきます。
価格転嫁に取り組むことは、過去の取引慣行を見直すことでもあります。自社の原価を見直し、現場のムダを改善し、顧客との関係性を再構築することでもあります。
そして何より、未来の自社事業を守るための第一歩です。
設備を更新し、人を育て、従業員の生活を守り、顧客への安定供給を続けるための、未来へのパスポートなのです。


