「お客さまに値上げを言ったら、仕事がなくなるかもしれない…」。
その恐怖、痛いほどよくわかります。長年の付き合いがあるからこそ、お金の話は切り出しにくいものです。
しかし、2026年を迎えた今、価格交渉の意味合いは劇的に変わりました。それは単なる「こちらの都合による値上げ」ではありません。
会社を存続させ、従業員の生活を守り、そして何よりお客さまに製品を供給し続けるための「大切な経営判断」なのです。そして価格交渉は、ビジネスを行うすべての人に与えられた、正当な「権利」です。
「そうは言っても、うちは原価計算もどんぶり勘定だし、根拠を示せない…」
そう悩む必要もありません。完璧な計算ができなくても、交渉はできます。
大切なのは、「怖い」という漠然とした感情を、淡々とこなす「手順(プロセス)」に置き換えることです。
本記事では、難しい計算が苦手な方でもすぐに使える「2500円の法則」と、無理なく交渉を進めるための「3つのステップ」について解説します。
読み終える頃には、「これならウチでもできる」と、受話器を取る勇気が湧いてくるはずです。
今回も読み終えるまでのお時間、しばらくお付き合いください。
ステップ1:原価計算できない時の「人間様1時間2500円」ルール
「原価計算? うちはそんな大層なことできてへんよ」
現場に行くと、多くの社長がそう苦笑いされます。しかし、価格交渉をするために、税理士のような精密な計算書を作る必要はありません。
まずは、たった一つの数字。「人間様1人が1時間働いたら、2,500円の加工賃(利益)が必要」という、この「2,500円の法則」だけを覚えてください。これが、あなたの会社を守る防衛ラインになります。
完璧な計算は不要。平均年収から導き出した「生存ライン」
なぜ「2,500円」なのか。これは、従業員に人並みの給料を払い、会社を維持するための最低ラインを、ざっくりと逆算した数字です。
- 計算の根拠(目安):
- 従業員に支払いたい年収や会社負担の社会保険料、工場の家賃や光熱費などの販管費を含めると、従業員1人あたり年間約500万円のコストがかかるとします。
- 年間の稼働時間を約2,000時間(1日8時間×月20日強×12ヶ月)とします。
- 5,000,000円 ÷ 2,000時間 = 2,500円/時間
つまり、材料費を引いたあとの「加工賃」が、時間あたり2,500円を下回っている仕事は、やればやるほど会社が疲弊する「赤字予備軍」の仕事だということです。
このシンプルな基準が、交渉の場での「自信」になる
この基準を持つだけで、交渉の景色はガラリと変わります。
「なんとなく安すぎる気がする…」という感覚論では、相手に言いくるめられてしまいます。しかし、「この製品は加工に2時間かかります。材料費を除くと5,000円、つまり時間単価2,500円を頂かないと、最低賃金や法定福利費を賄えない計算なんです」と言えたらどうでしょうか?
相手もビジネスマンです。「最低限のコストも回収できない」という数字に基づいた根拠(事実)を突きつけられれば、無視することはできません。
まずは自社の主力製品をいくつかピックアップし、「加工賃 ÷ かかる時間」を電卓で叩いてみてください。もし2,500円を大きく割っているなら、それは値上げ交渉をするための、これ以上ない「正当な理由」になります。
ステップ2:材料・光熱・労務費を分ける「納得のいく伝え方」
「2,500円の基準を下回っていることは分かった。でも、どうやって伝えたらいいか分からない」
そんな時は、値上げの理由を「どんぶり」にせず、「材料費」「エネルギー費(電気・ガス)」「労務費」の3つに分解して提示してみてください。
コスト上昇を「見える化」して心理的抵抗を下げる
「全体的に苦しいので、単価を100円上げてください」と言われると、発注側は「こちらの利益を削って、そちらの利益にするのか」と身構えてしまいます。これは、値上げの中身が見えない「ブラックボックス」だからです。
しかし、こう伝えたらどうでしょうか?
- 「材料費の市場価格高騰分が30円」
- 「電気代のアップ分が20円」
- 「最低賃金改定に伴う労務費増が50円」
- 「合計で100円の改定をお願いします」
こうして内訳を「見える化」すると、相手は「材料費や電気代はニュースでもやっているし、仕方ないな」と納得しやすくなります。
コストの中身をクリアにすることで、交渉は「御社vs弊社」の対立構造から、「外部環境の変化という共通の課題を、どう解決するか」という協力関係のテーブルへと変化します。
「自社努力の限界」と「国の指針」をセットで語る
この中で一番伝えにくいのが「労務費(賃上げ分)」でしょう。「そっちの会社の給料の話なんて知らんがな」と言われそうで怖い部分です。
ここで使うのが、「自社努力の限界」と「公的指標」の合わせ技です。
まず、「生産性向上や経費削減で吸収しようと努力しましたが、これ以上は品質維持に関わる限界点に来ています」と、誠意を持って自社の努力を伝えます。
その上で、「政府の『労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針』に基づき、適正な賃金確保のためにご協力をお願いしたい」と切り出してください。
これは、あなたのワガママではありません。
「適正な価格転嫁を行い、賃上げ原資を確保せよ」という社会的な要請(ルール)です。
公的なガイドラインや、最低賃金上昇率などの客観的データを添えることで、「社会情勢として避けられない対応である」という必然性を、堂々と主張しましょう。
ステップ3:1時間で「次回の交渉予約」を取り付ける仕事術
「もし断られたら、もう二度と言えない…」。
そんなプレッシャーを感じていませんか? 価格交渉で一番やってはいけないのは、一度の商談で「YesかNoか」の結論を焦ることです。
今日からゴールを変えましょう。「値上げを承認してもらう」のではなく、「まずは1時間、こちらの現状(コスト構造)を聞いてもらう」こと。そして、「次回の協議の日程を決める」こと。これだけで十分な成果です。
「一度で決着」を捨て、「理解してもらう時間」を作る
いきなり「単価を上げてください」と見積書を出すと、相手も身構えます。
まずは、「最近の原材料高騰や賃上げ情勢について、弊社のコスト構造への影響をご説明したいので、1時間だけお時間をいただけませんか?」と申し入れてみてください。
「値上げのお願い」ではなく、「取引環境の報告(共有)」という形であれば、相手も断りづらくなります。
この1時間で、ステップ2で作った資料(コストの見える化)を使い、あなたの会社が置かれている状況を丁寧に説明するのです。「なるほど、御社も大変なんだな」と相手にインプットできれば、その日の商談は大成功です。
「対話のサイクル」が最強の防御策になる
そして最後に必ず、「社内で検討いただき、来月また進捗を確認させてください」と次回の予約を取り付けてください。
重要なのは、価格の話を「点(一回きり)」で終わらせず、「線(継続的な協議)」にすることです。
定期的にコストや価格について話し合う場(サイクル)を持っておくこと自体が、不当な買いたたきに対する最強の防御策になります。「常にコストの状況を共有されている」相手に対して、理不尽な値下げ要求はしにくいものだからです。
一度断られても、「では、どの時期なら検討可能ですか?」「どの条件なら歩み寄れますか?」と粘り強く対話を続けること。これが、2026年の価格交渉のスタンダードです。
お客さまへの価格交渉が「怖い」と感じる不安を払拭する3つのポイント
「理屈は分かった。でも、いざ担当者を目の前にすると言葉が出ない…」
そんなあなたに、最後のひと押しとなる「勇気の源」をお伝えします。あなたは一人ではありません。法律も、データも、そしてビジネスの正義も、すべてがあなたの味方です。
ポイント1:新法「取適法」があなたの会社を強力にバックアップ
〜法律を味方につける交渉術〜
まず知っていただきたいのは、2026年1月に施行されたばかりの「中小受託取引適正化法(通称:取適法)」の存在です。
この法律は、従来の「下請法」をさらに強化したもので、コスト上昇分を価格に転嫁せず、不当に価格を据え置くことを明確に禁じています。さらに重要なのは、発注企業に対して「下請け企業からの協議の申し入れには、誠実に応じなければならない」と義務付けている点です。
つまり、「値上げの話なんて聞きたくない」と門前払いすること自体が、今は法律違反(コンプライアンス違反)のリスクになるのです。
「法律で決まっているから」と強気に出る必要はありませんが、「国が誠実な協議を求めているので、一度お話しさせてください」と言うだけで、相手の態度は変わります。法律という最強の用心棒が、常にあなたの背後にいることを忘れないでください。
ポイント2:公的な賃上げ指標を「動かぬ証拠(盾)」にする
〜自社の数字に自信がなくても大丈夫〜
「ウチの原価計算、間違ってたらどうしよう…」と不安になるなら、無理に自社の数字だけで戦う必要はありません。
誰も否定できない「公的データ」を盾にしてください。
- 春闘の回答結果: 「大手企業の賃上げ率が○%でした」
- 最低賃金の改定: 「兵庫県の最低賃金がこれだけ上がりました」
- 企業物価指数: 「日銀の発表で、企業物価がこれだけ上昇しています」
これらは、あなたの会社の事情ではなく、日本全体の「事実」です。
「世の中がこうなっているので、弊社も対応せざるを得ないのです」というスタンスであれば、相手も「お前の会社の経営努力が足りない」とは言えません。
客観的な数字は、感情的な対立を防ぎ、あなたを守る頑丈な盾となります。
ポイント3:「利益」はお客さまへの供給責任を果たすための原資
〜「お願い」を「価値ある提案」に変える思考〜
最後に、マインドセット(考え方)を少しだけ変えてみましょう。
値上げ交渉は、「こちらの都合でお金をもらうこと」だと思っていませんか? それは違います。
適正な利益が出なければ、新しい機械も買えず、優秀な若手も採用できません。そうなれば、将来的に品質が落ちたり、納期が守れなくなったりして、結果的に一番困るのは「お客さま」なのです。
「御社にこれからも高品質な部品を、安定して供給し続ける責任を果たすために、この価格が必要です」。
そう考えてください。これは「お願い」ではなく、お客さまのビジネスを守るための「価値ある提案」です。
「供給責任を果たすための原資」として堂々と価格を提示する。その誠実な姿勢こそが、プロとしての信頼を勝ち取るのです。
中長期的な視点で考える「自社らしい成長」への道しるべ
価格交渉は、単にお金を増やすための手段ではありません。それは、会社としての「生き方」を選び直す分岐点でもあります。
「言われるがまま」の過去と決別し、「自ら価値を決める」未来へと進むための、3つの視点をお伝えします。
視点1:価格交渉をしないリスクは「静かなる廃業」
「波風を立てたくないから」と、コスト増を自社で飲み込み続けること。それは一見、美徳に見えるかもしれません。しかし、経営の視点で見れば、それは「将来への投資資金(未来の食い扶持)」を削って、今の赤字を埋めているに過ぎません。
設備は老朽化し、給料は上げられず、人は採用できない。その先にあるのは、倒産という劇的な幕切れではなく、気づいた時にはもう手遅れになっている「静かなる廃業(ジリ貧)」です。
今、勇気を出して価格是正に動くことは、10年後の自社を存続させるための唯一の回避ルートなのです。
視点2:「なくてはならない存在」への脱皮
価格交渉の席に着くということは、必然的に「ウチはこれだけのことをやっています」と自社の価値を説明することになります。
これは、これまで「当たり前」だと思っていた自社の技術やサービス(短納期対応、不良率の低さ、提案力など)を、「独自の強み」として再認識する絶好の機会でもあります。
「高いけど、やっぱり御社じゃないとダメだ」。
そう言わせるだけの付加価値は何なのか。価格交渉をきっかけに、単なる「安くて便利な下請け」から、技術と提案で選ばれる「パートナー企業」へと脱皮を図りましょう。
視点3:得た利益を「人」へ投資し、技術を次世代へ繋ぐ
適正な利益を確保できたその時、そのお金をどう使うか。ここに企業の真価が問われます。
内部留保として貯め込むのではなく、従業員の賃上げや労働環境の改善(人への投資)に回してください。
「あの会社は給料が良いらしい」「働きやすいらしい」。そんな評判が立てば、優秀な若手が集まり、ベテランの技術が継承されます。
それが結果として、「さらに高品質な製品をお客さまに提供し続ける力」に変化するはずです。
価格交渉で得た原資を人に回し、人が会社を強くする。この「好循環」を作り出すことこそが、インフレ時代における中小製造業の「勝ち筋」です。
【独自視点】社長、その不安は「誠実さ」の証です
これまでの章でテクニックや法律の話をしてきましたが、最後に、一番大切な「心」の話をさせてください。
現場で多くの経営者と向き合ってきて感じること。それは、価格交渉に悩む社長ほど、本当に真面目で、責任感が強いということです。
「値上げをしたら嫌われるんじゃないか…」「迷惑をかけるんじゃないか…」。
そうやって胃が痛くなるほど悩むのは、あなたがこれまでの取引を大切にし、お客様の役に立ちたいと本気で思っているからです。その「優しさ」や「責任感」は、日本の製造業を支えてきた宝です。
その不安は、恥ずべきことではありません。あなたが商売に対して誠実であることの証(あかし)なのです。
交渉のやり方を変えれば、お客さまとの絆はもっと深まる
しかし、あえて厳しいことを言わせてください。
その優しさが、やり方を間違えると、結果としてお客様を裏切ることになるかもしれません。
無理な価格で赤字を垂れ流し、設備も人もボロボロになり、ある日突然「もう限界です、倒産します」と告げること。部品が供給できなくなり、お客様のラインを止めてしまうこと。これこそが、供給責任を放棄する、お客様に対する最大の不義理ではないでしょうか?
「適正な価格をいただき、その分、どこよりも良い製品を安定して納め続ける」。
この覚悟を持つことこそが、甘えのない、プロ同士の対等で健全な取引の姿です。
お客様だって、安く叩いて潰れてしまう下請けよりも、しっかり利益を出して、困った時に助けてくれる「強いパートナー」を求めています。
価格交渉は、決別ではありません。「これからも末永く、御社の力になりたい」という、未来への約束なのです。
恐れることはありません。堂々と、その誠意を伝えてきてください。
まとめ:製造業の価格交渉のやり方、もう「交渉が怖い」とか「原価計算できない」とかはもう通用しません
長年染み付いた「値上げ=怖い」という感情は、そう簡単に消えるものではないかもしれません。しかし、今回お伝えした「2,500円の法則」と「3つのステップ」を使えば、その漠然とした恐怖を「具体的な業務」へと変換することができます。
完璧な原価計算ができなくても、立派な資料が作れなくても、交渉はできます。
まずは「時給2,500円」という自社の生存ラインを知り、お客さまに「1時間だけ話を聞いてください」と伝える。この小さな一歩を踏み出すことこそが、あなたの会社を「働けども苦しい経営」から解放し、従業員と未来を守る唯一の道です。
今日から、価格交渉に対する意識を「恐怖」から「責任」へ、そして「未来への投資」へと変えていきましょう。
あなたが今すぐやるべき「次の一手」
この記事を読み終えたら、まずは電卓を叩いてみてください。
「(売上 − 材料費) ÷ かかった時間」
この数字が2,500円を下回っている製品があれば、それが交渉のスタート地点です。
そして、次回の商談で勇気を出してこう言ってみてください。
「弊社のコスト構造について、少しご相談したいので、次回1時間ほどお時間をいただけませんか?」
もし、具体的な切り出し方が分からない、根拠資料の作り方に自信がない、あるいは一人で進めるのが不安だという場合は、遠慮なく頼ってください。
商工会や商工会議所、そして西本が管理している「兵庫県よろず支援拠点」では、中小企業診断士をはじめとする専門家が、あなたの会社の状況に合わせた価格交渉の進め方を、無料で全力サポートします。
一人で抱え込まず、一緒に「稼げる製造業」への第一歩を踏み出しましょう。


