前回は、「品質を優先する風土」についていろいろなお話を進めてきました。企業風土を形成していくことやその大変さ、今後の方向についてお話をしてみました。
今回は、もう一度原点に戻って「日本的品質管理の生い立ち」を確認して歴史に応えがないか考えてみたいと思います。
第二次大戦後、統計的品質管理(SQC)を導入
日本製品は昔、安かろう・悪かろうという粗悪品の代名詞であり、製品の品質向上が多くの企業にとって課題でありました。
第二次大戦後、1951年戦勝国(GHQ)アメリカより、デミング博士が「管理図法」や「抜き取り検査法」などの「統計的手法」と合わせて、基本的な考え方である「デミングのサイクル(PDCAサイクル)」の話がされたのが始まりです。
サンプルデータから母集団の推定など統計的品質管理(SQC)の基本を学んでいきました。
アメリカからの品質管理の考え方や手法を導入して、日本人に向いた品質管理の考え方、やり方、手法などが整備されてゆき、日本製品も少しずつ前を向いて進んでいけるきっかけとなってきました。
以前にも商習慣のところでも触れた内容ですが、米国(海外)の商習慣は白黒ハッキリさせることを、日本では「いったん持ち帰って」考えることを好むことを説明しました。アメリカからの品質管理の考え方とは、規格によって製品の良し悪しを判断する白黒はっきりさせた考え方です。そのため、作り方よりも検査工程を重視するといえます。
一方、日本人に向いた品質管理の考え方とは工程での作りこみ「いったん持ち帰って」考えることを続けます。つまり、検査工程よりも作り方を重視します。「いったん持ち帰って」考えることで、何が起こったかというと、モノづくりを繰り返すことの狙いとそこからのズレ(出来栄え)の確認するようになりました。
狙いの品質とは、製品の目標として設定する品質のことであり、出来栄えの品質とは、実際に製品として製造した際の品質のことです。狙いをきめて、その出来栄えを確認するように思考が整備されてきたとことになります。モノづくりを繰り返し行っていくと、作ろうと思っている狙いからズレがでてきます。これがバラツキです。品質とは、このバラツキを抑えることだと考えています。
つまり、ダーツやアーチェリーなど的に向かって放たれる矢が中心の的から外れる状態をイメージしていただくとよくわかると思います。
この的を狙って矢を放ちますとその結果バラツキを持って矢は的に刺さります。この時、できるだけバラツキをなくして的(狙いの中心)に向かって放つのですが、バラついてうまくいきません。しばらくすると実力がついてきますと的の周辺に矢が集まってきます。
これが日本が考える品質に対するアプローチではないかと思います。的に狙ってモノづくりを行ってバラツキを抑えていくのです。そのために、色々な工夫・改善をするのです。これが工程の作りこみのイメージに近いのではないかと思います。
統計的品質管理の基本(1954年〜1975年)
統計的品質管理(SQC)で大事なことは「母集団を推定すること」です。抜き取ったサンプルデータから全体像を明確にしていくことになります。
モノをつくるときに、その出来栄えを確認することはお話しました。分母の大きい製品の出来栄えを確認するのにすべてのデータを確認することはできません。モノづくりの工程や検査ロットからサンプルを抜き取って、それを測定し、工程や検査ロットの実態を把握します。
大事なことは、サンプリングが母集団を代表しているかということを確認して見極めることです。1を見て10を想定するということです。この考え方は、量産するモノづくりにおいて飛躍的に管理する方法として世界に広がったと思います。
この1954年ころは、ジュラン博士(J.M.Juran)が、経営者・管理者対象のセミナーを開催し、製造や検査の範囲に限られていた統計的品質管理(SQC)の考え方を拡大し、経営の道具としてに使い始めました。
また日本では、1962年、石川馨教授より『現場とQC』誌が創刊され、小集団活動であるQCサークルが多くの企業で導入され、SQCが製造現場を中心に根付き始め、日本製品の品質が飛躍的に向上してきました。
モノづくりとは、「モノ」と「づくり」からできています。「モノ」は、設計思想のプロフェッショナル型であり付加価値を生み出す能力やワクワク・ドキドキさせます。また、「づくり」は、管理技術型のプロセス型に該当します。生産管理生産現場の技術やカイゼンが該当します。この「づくり」を生かして商品の実力値を把握することができます。この統計的品質管理も「づくり」により活用されていきます。
ここでも「モノ」は「MADE IN AMERICA」的であり、「づくり」は「MADE IN JAPAN」的であると思います。
SQCからTQCへと発展(1975年〜1990年)
1970年代の後期、品質管理活動は、製造業以外の建設業、通信業、サービス業など多くの業種でも導入・推進されるようになりました。高度経済成長期に入って多方面で活用されるようになってきました。
1980年代に入ると、日本は右肩上がりの経済成長に突入し納期・品質が重視されコスト競争力がなくなってきました。日本企業の多くは、質の良い製品・サービスを早くつくりあげることで、コストに代わる競争力を獲得しようとしていました。
そこで日本企業は、品質を会社全体で総合的にとらえ、組織全体でこれを良くするべく活動を取り入れてきました。これにより、TQC(Total Quality Control:全社的品質管理)が誕生したのです。
私が社会人になったのは1983年ですから、ちょうどこのころです。コンデンサーのメーカーに就職して、開発部門に所属しました。最初は、小型のアルミ電解コンデンサを2年目からは、大型のアルミ電解コンデンサーの開発を担っていました。開発といっても先輩が設計した製品の信頼性試験を行って試験結果をフィードバックすることをしていました。
当時のコンデンサは、設計根拠となるものがまだ少なく、この程度の製品で問題ないのかと、若いときに不安になったことを覚えています。それだけ大きな需要、つまり作ったら売れる時代でした。また、市場で問題が出るとみんなが集まって夜遅くまで会議を開いていたことを思い出します。みんなで集まって処理をするということが当たり前でした。
私が最初に入った会社は大手電機メーカーのグループ会社で、東証2部にも上場していたものの従業員数209名程度の中小企業でした。品質管理部門はありましたが、QC7つ道具を活用したり、小集団活動をするようなことはしていませんでした。いつもデータを取って夜遅くまで報告書を書いていた部署という感覚です。
大きな会社では、全社的品質管理は全員参加の活動であり、QCサークル活動の提唱を進めながら、品質を確保するための手段としてのQC7つ道具の準備や事実に基づくPDCAを進めていました。現代イノベーションの種がこのころからありました。
バブル崩壊からISO導入へ(1991~2001年)
1990年代は、84年のプラザ合意で固定金利から変動金利に移行して、為替が変動するという現象が出てきました。グローバル化が進む中で国内での生産では、価格競争力がなくなるため、生産を海外拠点に求められました。
その結果、日本人の考えたTQCは、企業が海外進出するようになりグローバル化が進むことで、逆に考え方が伝わりにくくなりました。
当時私は、最初の会社から転職し大手半導体メーカーでコンデンサーの開発を行っていました。生産工場がどんどん海外に出ていきました。また、実習ということで現地の外国人が、日本に来てモノづくりを学び、現地に持ち帰って生産を行うということが頻繁になされていました。
現地の人とは、言葉も違いますし、文化も違います。日本のTQCではカバーできない状況になっていったのです。
グローバル化が進展する中で、2001年ISO導入されることになりました。海外へ進出する企業は、ISOの認定を取得することが必修になったためISOブームが起こり、このTQCブームが衰退していったのです。
これによって2001年を境に産業環境は一変したといっても過言ではありません。
需要と供給が逆転したのです。2000年までは、「需要が供給を上回り」、2001年以降は逆転し「供給が需要を上回った」のです。
つまり、売れる時代から売れない時代になったということです。ここが供給力の人類史的ブレークスルーなのです。